【体験談】「円形脱毛症」になった時の話

脱毛症

こんにちは。ももちゃです。

今回は、私が高校・大学時代で悩まされた、
全身の毛が全て抜け落ちてしまう「汎発型円形脱毛症」になった時の
体験談について書かせていただきます。(その後完治しました!)。

汎発型円形脱毛症とは、
円形脱毛症の中の一つの種類なのですが、
円形脱毛症について詳しく記載した記事がありますので
気になる方はそちらもチェックしてみてください。

脱毛症になってしまうと、精神的にもきついですよね。
私もその一人でした。

「汎発型円形脱毛症」は円形脱毛症の中でも、
重度で完治しにくい病気と言われています。

ですが、私のように完治した例もあります
この記事が少しでもこの病気で悩まれている方の参考になれば幸いです。

ももちゃ
ももちゃ

今はフサフサ。ハゲても意外と周りは変わらない。気長に付き合っていきましょう〜

汎発型円形脱毛症とは

円形脱毛症の中でも最も重度な形態で、
頭髪だけでなく、眉毛、まつげ、体毛などの全身の毛が抜けてしまう病気です。

円形脱毛症について詳しく書いた記事はこちら

発症前〜発症まで

きっかけは、大学受験の過度なストレス

私が脱毛症を発症したのは、大学3年生の秋でした。

その頃は、大学受験間近であるにもかかわらず、
自身の所属する部活動の引退時期が来ておらず、
勉強時間の面で他の受験生に遅れをとっている状況でした。

担任の先生からはとある国立大学の推薦入試を勧められていたのですが、
入試間近であるにもかかわらず過去問すらまともに解けていない状況でした。
「私じゃ絶対に無理だ」という気持ちでいっぱいでした。

日々精神が不安定になっていき、
塾の先生ともコミュニケーションがうまくいかなくなりました。
精神不安定のため、結局塾は入試前に辞めてしまいました。悲惨な状況でした。

ある日を境に髪が大量に抜け始める

とある秋の夜、私は勉強机に向かいながら、
勉強以外のことで頭がいっぱいになっていました。

「部活動の引退まであとわずか、結果を残すため最後まで頑張りたい。」
「でも勉強をしなくては。今の学力で志望大学への合格は難しい。」

「もしこの推薦入試で落ちてしまったら、きっとどこの大学にも入れないだろう。」
「私立はお金がかかるから選択肢は無い。」
「浪人なんて親に迷惑かけることは絶対にできない。」

もし合格できなかったら・・・。
「この先、私はどうしたらいいんだろう。

今でも鮮明に覚えています。
私はパニックを起こしました。

窓を開けて大声で何かを叫び、頭を何度も壁に打ち付けて、
そのあとしばらく大声をあげて泣きました。その夜はひどい頭痛でした。

そして、次の日の朝。
・・・目覚めると、枕に大量の髪の毛が付いていました。

病院へ行き、円形脱毛症と診断される

最初は何かと思いました。
抜け毛の量にビビりつつも、とにかく何が起こっているかわからなかったので、
「ストレスで抜けたんだろう。そのうち治るだろう」とたかを括っていました。

しかし、そんな淡い期待をよそに、髪は抜ける抜ける。
ちょっと頭を触っただけでするする抜ける。

シャンプーなんかしたら、もう貞子状態です。
お風呂のたびに冗談抜きで子猫1匹くらい抜けました。

私はもともと毛量が多い方だったので、
見た目的に1週間ほどは耐え忍びましたが、
かなりギリギリでした。

そしてようやく「これは完全ハゲる!」と気付き、母と病院へ直行。

私は診察中にもオロオロ泣き、
担当のお医者さんには「こんなの見たことない」と驚かれ、
看護師さんには哀れみの眼差しと励ましのお言葉をいただき、
最終的に「円形脱毛症」という診断をされました。

発症〜完全に毛がなくなる

ウィッグを買いに行く

このままだと完全にハゲになってしまいます。
次に私と母はウィッグを買いに行きました。

一刻を争う事態だったので、ウィッグを選り好みしている余裕はなく、
「ウィッグといえばあそこしかない!」ということで、
急いで最寄りのレディースアデランスへ向かいました。

そして、最も色が黒に近いウィッグを選び、なんとか購入しました。
(レディースアデランスは中高年女性をメインターゲットにしているので、
 完全な黒髪が少なかったのです。選ぶのに少し苦労しました)

ウィッグを被ると、やはり髪があるという安心感に包まれ、
ホッとしたことを覚えています。

友人にカミングアウトするも、むしろイジられる

ウィッグを買った次の日、隠し事が苦手だった私は、
すぐに友人にウィッグであることをカミングアウトしました。

友人の反応が心配でしたが、
現実は実にあっけらかんとしていました。
私の友人がさっぱりした人が多かったからかもしれませんが、
「あっ、そうなの!」くらいな感じで。

むしろ、ある友人には廊下ですれ違った時
「おいハゲ!!」と大声で呼ばれたこともありましたね。

元からそういうこと言う人なんです。
「いや、ホントのこと言うなや!」みたいな返ししてました。
腫れ物に触るような扱いをされるよりも、
よっぽどありがたかったのを覚えています(強い)。

完全に毛が無くなり、逆に吹っ切れる

ウィッグを得て最強になった私は、
生えている方の毛を煩わしいと思うようになります。

なにせ、ものっすごい抜けるからです。
放っておくと部屋中髪の毛だらけになるのです。

そのため、私は狂気とも呼べる所業に手を染めました。

根が枯れ、もはや頭皮に乗っているだけの状態である、
いずれ抜け落ちる髪の毛を、絨毯の上のホコリを取るが如く、
コロコロですべて刈り取ってしまいました

とうとう私は仏になりました(頭皮が)。

つるぱげになったその後も、
おじいちゃんにウィッグを被せたりして遊んでしばらく楽しみました。
それから髪の毛と一緒にムダ毛も全く生えてこなくなったので、
その辺は便利な面でした。

眉毛とまつ毛が無くなってしまったのは痛手でしたが、
その分メイクスキルが上昇しました。

再び髪が生えてくるも、、、

産毛が少しずつ生えてくる

先生の協力もあり、なんとか第二志望の大学に合格。

私の脱毛症は受験のストレスによるものだったので、
ストレス元から解放されるとしばらくして産毛が生えてくるようになりました

このまま生えれば良いな、、と願いながら、
高校卒業→大学入学のため一人暮らしを始めることになります。

大学入学直後、悲劇が襲う

入学直後、典型的な浮かれ大学生になっていた私。
めでたいことに、入学してから速攻、2つ上の先輩を好きになりました。

私は絶対同じサークルに入るぞ〜っ!とウキウキしていたのですが、
そのサークルにすでに入部を決めている同学年に、
ものすっごい怖い形相の女の子がいたのです・・・!

いじめられっ子気質な私は、
(あ、いじめられる 終わった)

と思い、泣きながらチャリを漕いで帰ったのを覚えています。

その翌日、またハゲてしまいました(笑)
当時は笑い事ではありませんでしたが・・・

※生え掛けの時期は毛根が弱いので、
 ちょっとしたストレスにも反応してしまったんですね。
ちなみにその怖い女の子は、実はすごくいい人で後日しっかり仲良くなりました。

0からのスタート

また0からのスタートです。
そこから半年くらいまた生えてこず…。
髪も仏ものないのかよ、と思っていた矢先のことでした。

困った時の神頼み?

母親から
「近くで『四国八十八ヶ所お砂踏み』という
イベントをやっているらしいから、行かない?」

とお誘いをいただきました。

私の当時の住まいは、四国とは程遠い東北の地だったのですが、
何やら、近くの催事場に『四国八十八ヶ所』のお砂がやってきて
お遍路を簡易的に体験できる?とのこと。

当日、しっかり八十八ヶ所の全仏様の前で、
「髪が生えてきますように」
とお祈りしました。

すると、嘘と思われるかと思いますが、
その次の日…本当に…産毛が生えてきたのです!
心から神様仏様に感謝です!

無事に完治!

以来、10年ほどは一度も抜けることなく、
フサフサ生活を送らせていただいておりました。完治と言ってもいいでしょう!

※ただ、プロフィールにもあるように、
 私は仕事のストレスで再度髪の毛が抜けてしまいました。
 今回は全身抜ける感じではなく、全体的に薄くなっている感じです。

 ですが、現在は局所免疫療法の治療の成果で
 かなりの部分で発毛してきたため、このまま伸びてくれると思います!

まとめ

以上、「汎発型円形脱毛症」に罹ってから
完治するまでの記録を書かせていただきました。

髪がなくなるというのは、精神的にも辛いものではありますが、
近年は治療法も確立してきているそうです。(現在治療中の病院の先生談)

ショックを感じても、いずれ治ると信じて、元気に生きていれば大丈夫!
最近は、国産や韓国ブランドなど安くてかわいいウィッグもありますよ🎵

この記事が誰かの心の支えになれればと信じて。

それではまた〜

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